カレンダー

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

営業時間 10:00~17:00
定休日  土日祝祭日

店舗情報


コラム一覧

2019-11-04

ヘレンド・エステルハージEB ティーC/S ブルー2704サイズ:カップ直径9cm高さ5.5cmソーサー直径13.5cm
素材:陶磁器
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。

エステルハージ家は、中世から続くハンガリーの貴族である。いくつもの分家がある。

17世紀からハプスブルク帝国、オーストリア=ハンガリー帝国末まで、ハンガリー王国最大の大地主であり、事業家であった。
元はハンガリー王国の北にあるガランタにあるジェントリであった。
一族は、エステルハージ・ニコラウス伯爵(1583?1645)と息子のエステルハージ・パール(1635?1713)侯爵の代で台頭する。
1626年にニコラウスは伯爵の地位を授けられ、1712年にエステルハージ本家は侯爵の地位を与えられた。
エステルハージ家の成功は、着実な土地の蓄積と、カトリック教会とハプスブルク家への忠誠に起因する。
ハンガリーは一貫して、時には反乱や革命(1848年革命)を起こしてオーストリアの支配からの解放を要求し、最終的には第一次世界大戦末期に独立を成しとげることとなる。
しかしながら、エステルハージの侯爵たちは首尾一貫してハプスブルク家へ忠誠を誓い、何度も重大な局面を迎えたときにハプスブルク家に多大な貢献を果たしてきた。
1683年のオスマン帝国によるウィーン包囲や1809年のナポレオンによるウィーン征服などである。
一族は3つの方法でその財産を得てきた。対抗改革におけるプロテスタントからの土地の再配分。
オスマン帝国に征服された土地(オスマン帝国領ハンガリー)の再配分。そして、巧みな結婚相続である。
その土地の大半は今日のオーストリア・スロバキア・ハンガリーにまで広がった。
一族はついにハプスブルク帝国最大の大地主となり、時としてオーストリア皇帝の所得を凌駕するまでになった。

エステルハージ家とフランツ・ヨーゼフ・ハイドン
交響曲の父と呼ばれる著名な作曲家フランツ・ヨーゼフ・ハイドンは、エステルハージ家に楽長として仕えた。
1761年、ハイドンはエステルハージ・ミクローシュ・ヨージェフに雇われ、ミクロージュ・ヨージェフの孫であり後継者であったエステルハージ・ミクローシュのもとで長く働いた。
ミクローシュの後を継いだ息子のエステルハージ・アンタルは音楽にほとんど関心がなく、ハイドンは名ばかりの楽長となり、旅行先のイギリスで大半を過ごすこととなる。
アンタルは数年で亡くなり、次のエステルハージ・ミクローシュのとき、再び楽長として仕え、主にミクローシュの妻でハイドンの友人であったマリア・ヨーゼファ・ヘルメネギルド(1768?1845)の聖名祝日ミサ曲を、毎年作曲をした。
老齢だったハイドンは、1809年に病で没するまでこの仕事を続けた。

ヘレンド展では1番最初に このシリーズの大きなサービスが 磁器制作の奔りとして展示されます。ヘレンドの歴史上 興味深い作品です。

バハン陶器窯(1826年開窯)であったヘレンドが 皇帝フランツ・ヨゼフ一世に 磁器の制作を許され(1839年) 最大の応援者で ロシア大使を務めたエステルハージ公の持ち帰った 雑彩技法の中国磁器(漢字を真似たもの あり)を ヘレンド流に焼き直し 復刻しました。 
ヘレンドでは磁器の始め期に 雑彩様式エステルハージの復刻に 地色を削り落とし 白抜きの絵を作るという方法でしたが すくに簡単なはじき技法に至りました。
実際 マイセン最初期の このはじき技法は より簡単 より繊細に 雑彩様式効果を あらわせております。
蝋結染めの奔りは 現中国新疆ウィグル自治区に 2〜3世紀の頃に見られ その後 世界各国で 行われておりました。
元祖中国の 磁器職人が 他業界の技法とはいえ 蝋纈染め(はじき技法)に思い至らず(知ったとしても 職人気質の面目が許さなかったのかも) 手間暇かかる雑彩技法に 固執しておりましたのに いとも簡単に はじき技法に至るとは 合理性(費用対効果)を重んじる 欧州人の 面目躍如たる所です(存外 マイセンでは この緻密な雑彩様式に思い至らず 本家中国でも はじき技法よっていたと思っていたかも)。

    リッセ・シェープ 草創期 エステルハージ・シェープはなかった。後に 絵を美しく見せながら シェープ自体もリッセより 華麗なシェープに 筆頭スポンサーであった エステルハージ侯爵に敬意を表して名づけられたらしい。

ヘレンドには オジア,ロカイユ,リッセ,エステルハージ,シェープがあります。
面白いのはバロックを代表する(マイセン#02,ジノリのベッキオ)をロカイユ(ロココ)と名付けています。
ネオクラシック時代創窯のヘレンドにあっては 多分時代を読み誤ったのでしょう。もしくは 歴史を古く箔付けするのに バロックでは 誇張が過ぎるし ロココどまりにしたのでしょうか? 1部学者に ロココを バロックの延長とする説はありますが バロックをロココとするのは 明らかな間違いです。

1864年閉窯の大先輩ウィーン窯の 受け入れは 絵のみ (金緑彩パセリ文, ワインリーフetc.) で シェープは デコラティブな貴族趣味を旨とする ヘレンドにあっては 奇を衒わぬ機能性を 旨とする ウィーンとは 相容れず その影響は見られません。

ウィーン窯に遅れること 100年の民間・バハン陶器窯として創立(1826)したヘレンドですが 1839年 皇帝フランツ・ヨゼフ一世に 実質的創業者モール・フィシェルが 磁器の制作を許されました。












アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。

ヘレンド展では1番最初に このシリーズの大きなサービスが 磁器制作の奔りとして展示されます。ヘレンドの歴史上 興味深い作品です。

バハン陶器窯(1826年開窯)であったヘレンドが 皇帝フランツ・ヨゼフ一世に 磁器の制作を許され(1839年) 最大の応援者で ロシア大使を務めたエステルハージ公の持ち帰った 雑彩技法の中国磁器(漢字を真似たもの あり)を ヘレンド流に焼き直し 復刻しました。 
ヘレンドでは磁器の始め期に 雑彩様式エステルハージの復刻に 地色を削り落とし 白抜きの絵を作るという方法でしたが すくに簡単なはじき技法に至りました。
実際 マイセン最初期の このはじき技法は より簡単 より繊細に 雑彩様式効果を あらわせております。
蝋結染めの奔りは 現中国新疆ウィグル自治区に 2〜3世紀の頃に見られ その後 世界各国で 行われておりました。
元祖中国の 磁器職人が 他業界の技法とはいえ 蝋纈染め(はじき技法)に思い至らず(知ったとしても 職人気質の面目が許さなかったのかも) 手間暇かかる雑彩技法に 固執しておりましたのに いとも簡単に はじき技法に至るとは 合理性(費用対効果)を重んじる 欧州人の 面目躍如たる所です(存外 マイセンでは この緻密な雑彩様式に思い至らず 本家中国でも はじき技法よっていたと思っていたかも)。

リッセ・シェープ 草創期 エステルハージ・シェープはなかった。後に 絵を美しく見せながら シェープ自体もリッセより 華麗なシェープに 筆頭スポンサーであった エステルハージ侯爵に敬意を表して名づけられたらしい。